娯楽が苦痛になる悲しみ | Serenity Fruits

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日常や趣味についてつぶやきたい事を書く。愚痴も言う。無理せず自分のペースで好きに過ごしたい。独り言ノートなので、意にそぐわなければ何も言わず引き返してね。
日常や趣味についてつぶやきたい事を書く。愚痴も言う。無理せず自分のペースで好きに過ごしたい。
独り言ノートなので、意にそぐわなければ何も言わず引き返してね。

娯楽が苦痛になる悲しみ

最近は、アニメや漫画やゲームなどの娯楽に触れる事も、二次創作をする事も、意欲がほとんどなくなっています。
なので今は、自創作に打ち込む事にしています。
ただ、自分が望む事ができているという実感は薄く、物足りなさを感じては気分が落ち込みます。
好きなもの、本当に今一番したい事を諦めているからなんですよね。今の状況では、自分の心を守るために諦めざるを得ないのです。

自創作に打ち込めているからといって、それを「オリジナルで自分の理想の世界を作ればいいじゃん」と、娯楽に憂う声を封じるための口実にされるのは嫌ですし。
自炊できるけど、外食も楽しみたいという人だっていますよね。自分が食べたいご飯は自炊だけでまかなえというのは、あまりにも味気ないです。

せめてここでくらいは、その悲しみややるせなさを吐露させてください。
私と同じ考えを持ちわかってくれる人だけに私の気持ちを知ってもらえればいいと思ってるので、少しでも気に障ると感じた人はすぐに読むのをやめ、何も言わず引き返してください。


全くアニメや漫画やゲームに触れなくなったわけではなく、今も触れてる作品はありますが、本当に明るく楽しませてくれると信頼できる作品はごく限られているように感じます。
少しでも触れられる作品があるだけまだ良いのかもしれませんが…それぞれの作品は唯一無二であり他に代わりはありません。
一つでも好きな作品でショックな出来事があれば、当然とても苦しいわけで。
現在触れてる作品でも、いつまで安全に穏やかに楽しめるかわからず不安を感じているものもあります。

人が作るものに触れれば一つや二つくらい嫌なすれ違い方をする事もあると思いますが、誰だってなるべく思い入れのある作品で辛い思いはしたくないはず。
今はすれ違いとか、そういう小規模な話ではなくなってきています。
心を癒やすものであるはずの娯楽で、頻繁に心ない出来事、トラウマになるようなひどく気が滅入る出来事がある事自体が、とても悲しいんです。

ショッキングで暴力的な表現、非倫理的な事や悪を賛美し煽るやり方、過度に気が塞ぐような鬱々とした陰惨な作風に、今は多くのクリエイターや会社が無節操に手を出し、大衆向けに発信しています。
本来は隠れて楽しむべきである刺激の強いものが普遍的なものとして定着し、あちこちのメディアで分別なく取り上げられ避ける間もなく目にしてしまいます。
私が癒やされると感じ楽しんでいた、明るい作風だったからこそ好きだった作品も、そういった路線に向かってしまう事も増えました。
楽しむよりもストレスを感じる事のほうが多くなり、ストレスどころかトラウマにまでなってしまった事もあります。


今の娯楽を取り巻くコミュニティも、極めて窮屈かつ有毒になっていると感じます。
オタクを名乗る人に、露悪的で乱暴な言動や行動を取る人があまりに多い。オタクだけに限った話でもないですが。
本当はわざわざ予防線のように前置きとして言わなくて済むようにしたいのですが、「みんながそうではない、まともな人もいる」というのは重々承知の上で話しています。
まともではない人のほうが強烈に目立っているので、まともな人はその陰に埋もれてしまってるんですよね。だから嘆いているのです。

作品やキャラクターへの評価についても、称賛だけが愛であり正義、批判はそれを否定する悪だと思い込む極端な考え方が、根強く定着してしまっている。
「この描写や展開はショックだった、残念だった」「このやり方はさすがに腑に落ちない、もっと良いやり方があったはず」「もっとこのキャラクターは良い活かし方があったはず」と残念な気持ちや疑問を話しただけでも、糾弾されてしまう。
「嫌なら見るな」「全て自分の思い通りになるとは限らない、他を当たれ」「いつだって公式が絶対に正しいのだから文句を言うな」「表現の自由を認めるべきだ」などと。
そう言ってる人達だって、自分に合わないと思ったものには正直に「解釈違い」などと批判的な意見を言っているのに。

「どれだけ狂っているか」アピールをする人々もよく目につき、「集団幻覚」「脳死」など、品のない、不謹慎な言葉も普通に飛び交っている。
「ほのぼの作品だよ」と称して、内容が暗く猟奇的な作品を勧めて反応を面白がる人もいる。これに関してはもはや嫌がらせに等しいと思います。
闇と無縁な作品であっても闇を見出し、作品に暗い部分があるという所だけに注目し食らいつき、露悪、鬱、グロテスク、地獄、人の心がないと誇張してはやし立て「闇が深くてオタクが好きそうだからみんな見て」と広めながら、荒らしていく人もたくさんいる。
私が以前から好きな作品にも、そう消費されてしまっている作品があり、苦しい気持ちです。

そして、オタクに偏見を持たれるのが嫌だと言いながら「狂ってこそオタク」「限界オタクだから」と、自分の暴走をオタクという概念を都合良く使って正当化する人も多い。
ミュートやブロックをしたって、そういった人の人口が多すぎるのでキリがないです。
声が大きく過激で倫理観に欠け責任を持たない人々が影響力を持ち、常に娯楽の世界を掌握している。穏やかに楽しみたい人は日陰に隠れるしかない。
この状況に苦言を呈せば、こっちがおかしな事を言っているかのように悪者扱いされる。現実とフィクションの区別がついてないとも言われてしまう。現実にも内輪ノリや悪趣味を持ち込み、本当に区別がついてないのはそっちなのに。
自分さえ良ければいいと思ってる人ばかり。
多勢に無勢。


もうここは、癒やしを求め、良い夢を見ながら平穏に過ごせる場所ではないのだなと悟りました。
今の娯楽の世界は、歪んだ性癖を公にアピールし、惨劇をスナック感覚で笑って楽しみ、悪を称え煽って気持ち良くなる事を「癒やし」とする人々が「癒やされる」ための場所になっているのだろうと感じました。

「みんながそうではない」「そういう作品ばかりではない」、そう言うのであれば、もっとモラルを持って自浄作用を働かせてほしい。悪意を娯楽としてブームにするのではなく心が温かくなれるものを流行らせてほしい。
でもその声も埋もれてしまうし、そう言った所で、世界が簡単に変わるわけでもない。
だから、そんな現状である娯楽から距離を置いて、現時点でより安全で無難な場所に避難するしかないのです。

私と同じように、泣く泣くそういう選択をしている人が少なくない事を知っています。私一人だけじゃない。
オタクみんなが悪趣味で分別のない人ばかりではないからこそ、今の露悪やエログロナンセンスが大衆向けに発信されたり、現実に実害がある事すらも娯楽として消費してしまう人の多さや風潮の根強さに、嘆いてるオタクの方も少なくありません。
それでもこの状況は未だに変わらないどころかエスカレートしている。やっぱり現状が異質なんです。

なぜ平穏な場所を壊し、人の大切なものを歪め、周囲に気を配れない人に、こちらが配慮したり尊重しなければいけないのか。周りを見ずに大声を出して暴れる人に、思いやりを持つ必要なんてあるのか?疑問は尽きません。
自由だとか新しい挑戦だとか、趣味と人格は違うとか、そんな言い訳も聞きたくない。
自分の好きな作品やキャラクター、癒やされてきたはずの娯楽が、心ない人に荒らされるのを黙って見ているしかできない事が悔しいです。
せめて陰で嘆くだけでも、許してほしいですね。娯楽は痛みを強いる場所ではないのですし、痛みを打ち明ける事すら許されないなんて本当に酷ですから。

今の娯楽には夢も見られないし、期待する事も残念に思う事も許されない。
それ以外に安全圏だと思える場所にこもる事にします。
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